MJさむらいと海外留学

海外への憧れ

最初に海外を意識し始めたのは、高校3年の時。クラスメートのOが一年のアメリカ留学から帰国してきた。彼は、アメリカのオクラホマで高校2年生の一年間を過ごしたのだ。彼から、アメリカの生活で起きたことを聞いてとても興味が沸いた。強く海外への憧れが芽生えたのはこの頃だ。

ワーキングホリデー

1992年くらいの話になるが、ぼくは山口大学農学部農学科に入学後、人生の岐路に悩んでいた。普通なら入学直後は夢を持って勉学に励むところだが、当時の自分は希望の学科(獣医学科)に入学できず、親を安心させるために中途半端に入学してしまった大学生活で目標を失っていた。そしてクラスになじめずに留年(部活やバイトはがんばった)。その時に、ワーキングホリデーと言う働きながら海外で長期滞在ができる制度があることを知る(最長一年間)。逆に言えば、何の許可もなく海外で長く生活することはできない。その当時、日本との間にワーキングホリデーが導入されていた国はオーストラリア、フランス、カナダだったかな?どこかの法人団体によってワーキングホリデーの説明会が大阪で行われるというので、大阪まで出かけていって話を聞いた。しかし、ワーキングホリデーで一年間海外に行っても必ずしも英語がしゃべれるようになるわけではない事や、ある程度のお金が必要なことを知る。
自由な時間はいくらでもあった当時、アルバイトをしてお金をためることは可能だった。しかし、一年間海外に行った後の事を冷静に考えると、片言の英語がしゃべれても、それほど人生のプラスになるとは思えなかった。また、当時のシャイなぼくは海外に出て行っても、一人で積極的に動いて有意義な日々を過ごす自信はなかった。ただ行くだけではだめだ!と強く感じた。悩んだ結果、ぼくはワーキングホリデー制度は使わないことにした。なんでも思い立ったら、まずはやってみるというぼくにしては冷静だったのか。びびってしまったのか。
それからの目標は、「何かを身につけて海外に行こう!」という事に変わった。そうすれば、海外に行った時に自然と人に接する機会も生まれるし、意義もあるんじゃないか。それが当時のぼくの選択だった。残念ながら当時のぼくには特別なものはなにもなかったわけだ。
結果、30代も過ぎて海外生活が実現するのだが、あの当時ワーキングホリデーに出かけて世界に揉まれていたら全然違った人生を歩んでいたと思う。どっちが良かったかなんて分からないけど、ワーキングホリデーでがんばっている若い人達に会うと、若い時に出といたほうが良かったかなとも思う。また、一流企業を定年退職した後にこちらで永住権を取って生活されている方にも出会った。それもいいなとも思った。夢は何度でもチャレンジできるし、人生の選択肢はいくらでもある。「継続は力なり」かな。←中学時代の恩師がいつも言っていた言葉。ぼくは飽きやすいといつもしかられていたものだが、くじけそうになると不思議とこの言葉を思い出す。

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